2014年4月2日水曜日

一見濃密に見えるハガキとの数ヶ月・その1

1990年代初頭、夏 東京はどこも暑かった。直射日光から逃げて建物の陰に入っても、エアコンの室外機からの生ぬるい風を浴びることになった。 特に新宿東口からアルタの横を抜けて歌舞伎町へと続く道がやたら暑かった。 気温の高さ、湿度の高さ、照り返し。それらをコンクリートが囲んで閉じ込め、車の音と人々の声と電車の音が鳴り響き、都会の夏を作り上げていた。 熱せられたアスファルトの上を綺麗な服で歩く人もいれば、じっと動かずに座っている人もいた。どちらも僕が生まれ育った田舎にはいないタイプの人だった。 その日は歌舞伎町で映画を見た。 最近は時間を持て余していて、暇を潰すために映画を観た。毎日何もせずにだらだらしているわけではなく映画という文化に触れているんだと、誰も見ていないのに周囲を意識していた。 「最近何しているの?」 「最近? もっぱら映画だね」 こう受け答えするのが理想だったが、知り合いのいないこの東京ではそのような会話があるはずなかった。 だからいつも将来インタビューを受けることを考えた。 「若い頃は何をしていたんですか?」 「う~んそうですね、とにかく映画ばかり観てましたね」 こうやって堂々と言える時が来るかもしれないから、今は誰にも言えなくても良いんだと自分を納得させた。 映画ばかり観ていると言えばかなりの映画通に思われるだろう。これはまったく嫌なことではない。むしろカッコ良い気がする。 しかし実際のところここ数年で観た映画でナンバーワンは『チャイルドプレイ』だ。チャッキーという人形が人間を襲いまくるホラー映画である。「ナンバーワンがそれなの? もしかしてキミ、映画そんなに詳しくないでしょ?」と疑われた場合、「あえて、ですよ」と言う準備はできていた。 「ああ、あえてなんですね」 「そうですよ」 これで映画通のイメージは保たれる。ちなみに邦画なら『ビーバップハイスクール』シリーズが好きだ。 映画が終わり、パンフレットは節約して買わずに映画館を出た。午後3時を回っていたにも関わらずまだまだ暑かった。ここが歌舞伎町だと改めて実感させてくれるテレクラのアナウンスを聞きながら新宿駅東口へと向かう。夜の店が開店の準備をし始めていた。 靖国通りの横断歩道を渡る頃にはもう汗まみれになっていた。汗を拭いながら進み、アルタの横にある果物店に並んでいるカットフルーツを横目に歩き、南国フルーツの香りの中をすり抜けて信号待ちをした。後ろにアルタがあって、「『いいとも』ってこんなところでやっているんだ。テレビ番組はテレビ局でやっているとは限らないんだな」などと考えながら横断歩道を渡り、階段を下りて新宿駅へと入った。 最も端にあるホームから黄色い電車に乗って、すぐに鞄からカセットプレーヤーを取り出した。高校生の時に地元のホームセンターで買った、SONYでもAIWAでもない、その他有名メーカーでもない、どこのメーカーだかわからない代物だ。 イヤホンをして、再生ボタンを押した。ガチャッという大げさな音が鳴った。数秒もたたないうちにすぐにイヤホンを外して、音漏れをチェックした。イヤホンを離して音が聴こえてこないことを確認し、再びイヤホンをした。 そこまで注意深くなりながら聴きたかったのはラジオの深夜放送だった。 カセットプレーヤーの中で120分テープが回り続ける。深夜放送らしいテンションでパーソナリティがコーナーのハガキを読み始める。 「続いてのハガキは、杉並区の……」 それは僕のハガキだった。パーソナリティが僕の名前を言って、ネタを読んで、笑っている声が聞こえた。 僕はまたイヤホンを外し、音漏れをチェックした。自分のハガキが読まれるところを自分で聞いているのがばれてしまったら恥ずかしいからだ。他の乗客はまったくの他人であり、たとえ音漏れしていたとしてもそのハガキが僕のものであることなどわかるはずないのだが。 でも、頭のどこかで誰かに聞いて欲しいとも思っていた。「あのハガキってあなたのだったんですか!」と驚いて貰いたい。 しかし自分は常連ではない。たまたま読まれただけだ。だからそんなことを言われる資格などないんだと謙遜になったりもした。 そのようなよくわからない感情のまま再びイヤホンをし、巻き戻しボタンを押した。テープが音をたてて逆回転した。再生ボタンを押すと通常の速さでまたテープは回転し始めた。 「続いてのハガキは杉並区の……」 僕はまた自分が採用されている箇所を聞いた。 これが目的地に着くまで計5回続いた。 (つづく)

2014年2月9日日曜日

ribbonについて

90年代はアイドル冬の時代と言われた。80年代からずっと私が抱いていた「アイドル」像は消滅してしまった。それは97年にモーニング娘が登場するまで続いた。
それでも高橋由美子や東京パフォーマンスドール、Melodyなどは意地を見せていた。ribbonもまたそうだった。

89年、私は東京に来た。上京してきたは良いが特にすることもなく、ワンルームの部屋でじっとしていた。そんな私を外へと連れ出してくれたのがアイドルのイベントであった。
池袋サンシャインの噴水広場、よみうりランド、東急・三越、新宿NSビル等によく行ったものだ。「毎週アイドルイベントがあるなんて東京って凄い」と感動しながら、ぴあの小さなマップを持ってイベント会場へと移動することによって東京の地理を覚えていった。
もしもアイドルイベントがなかったならば、私は都会に馴染めずかつ部屋からも出ず、確実に何か罪を犯していただろう。ある意味、アイドルに救われたようなものだ。

特にribbonである。最近は永作博美がいたグループだと説明すると「ああ!」と理解されやすい。
当時放送していた番組『パラダイスGoGo!!』の乙女塾のメンバーによって結成されたribbonは89年の12月にデビューした。時代はすぐに90年代へと突入した。ribbon は80年代と90年代を結ぶ懸け橋となった。そして90年代の初頭を駆け抜けたグループだった。

90年代になっても私の生活は変化はなく、相変わらず様々なイベントに行った。その数だけ様々な思い出がある。中でも最も印象に残っているのは90年の夏に日比谷野音で行われたribbonのイベントだ。
とにかくもの凄い暑さだったことを覚えている。「こんなに暑いなんてやっぱり東京って凄い」と思ったものである。炎天下の野音で疲労し切ったのだが、握手があって、サイン色紙も貰って、全てが吹き飛んだことも覚えている。

あの時、開演までこれでもかというほど『あのコによろしく』が流されていた記憶もある。
サードシングルであった『あのコによろしく』の歌詞には「強がり」があって、「諦め」があって、それらが融合した「切なさ」があった。それなのに「受容」もあった。私がribbonに抱いていた特有の母性が最も感じられる曲だった。曲と曲の合間に聞こえる日比谷公園の蝉の声も込みで歌詞を噛み締めた。

あれから20年以上経った。もう東京の暑さで驚くことはなくなった。さすがに当時とは生活は変わった。
それでも、何かあるたびに彼女達のCDを聴いている。

ribbonの賞味期限は、ない。