2014年2月9日日曜日

ribbonについて

90年代はアイドル冬の時代と言われた。80年代からずっと私が抱いていた「アイドル」像は消滅してしまった。それは97年にモーニング娘が登場するまで続いた。
それでも高橋由美子や東京パフォーマンスドール、Melodyなどは意地を見せていた。ribbonもまたそうだった。

89年、私は東京に来た。上京してきたは良いが特にすることもなく、ワンルームの部屋でじっとしていた。そんな私を外へと連れ出してくれたのがアイドルのイベントであった。
池袋サンシャインの噴水広場、よみうりランド、東急・三越、新宿NSビル等によく行ったものだ。「毎週アイドルイベントがあるなんて東京って凄い」と感動しながら、ぴあの小さなマップを持ってイベント会場へと移動することによって東京の地理を覚えていった。
もしもアイドルイベントがなかったならば、私は都会に馴染めずかつ部屋からも出ず、確実に何か罪を犯していただろう。ある意味、アイドルに救われたようなものだ。

特にribbonである。最近は永作博美がいたグループだと説明すると「ああ!」と理解されやすい。
当時放送していた番組『パラダイスGoGo!!』の乙女塾のメンバーによって結成されたribbonは89年の12月にデビューした。時代はすぐに90年代へと突入した。ribbon は80年代と90年代を結ぶ懸け橋となった。そして90年代の初頭を駆け抜けたグループだった。

90年代になっても私の生活は変化はなく、相変わらず様々なイベントに行った。その数だけ様々な思い出がある。中でも最も印象に残っているのは90年の夏に日比谷野音で行われたribbonのイベントだ。
とにかくもの凄い暑さだったことを覚えている。「こんなに暑いなんてやっぱり東京って凄い」と思ったものである。炎天下の野音で疲労し切ったのだが、握手があって、サイン色紙も貰って、全てが吹き飛んだことも覚えている。

あの時、開演までこれでもかというほど『あのコによろしく』が流されていた記憶もある。
サードシングルであった『あのコによろしく』の歌詞には「強がり」があって、「諦め」があって、それらが融合した「切なさ」があった。それなのに「受容」もあった。私がribbonに抱いていた特有の母性が最も感じられる曲だった。曲と曲の合間に聞こえる日比谷公園の蝉の声も込みで歌詞を噛み締めた。

あれから20年以上経った。もう東京の暑さで驚くことはなくなった。さすがに当時とは生活は変わった。
それでも、何かあるたびに彼女達のCDを聴いている。

ribbonの賞味期限は、ない。